くまーるブログ

あやしうこそものぐるほしけれ。

「日本語教育能力検定試験 聞かない音声の対策講座 録画視聴」告知

すみません、今回も告知をさせてください。

 

9/19(祝・月)実施の「日本語教育能力検定試験 聞かない音声の対策講座」をご受講いただいた皆様、本日はお忙しい中ありがとうございました。

 

しかし、今日都合が合わなくてご受講できなかった方もいらっしゃったと思います。
この度、ご都合が合わなかった方のために、録画視聴を行うことになりました。以下のような流れで実施いたします。

 

①録画視聴の申し込み(Google Forms)
②入金(1,500円
③録画した動画のURL等が送られる
④視聴

 

なお、日程は以下の通りです。

9月29日(木)     21:00 録画視聴の申し込み受付締め切り
10月5日(水)     09:00 入金の締め切り
10月10日(祝・月) 21:00 録画した動画の公開終了

 

詳細は下記のチラシをご覧ください。

お申し込み先は以下の通りです。
 

  

なお、本講座では「拍の長さ」「アクセントの下がり目」などの用語の説明は行いません。予めご了承ください。
 
ご関心のある方のお申し込みをお待ちしております。

<以下、チラシです>

コマ給

日本語教師の求人、花盛りです。

現在は10月以降の講師を募集しているところがほとんどでしょうか。

10月の第一週(2日から8日までの週)は秋休みでその翌週の11日(火)から新しい学期が始まるところが多いと思います。
日本語学校側としては、「11日(火)までに新しい講師に来てほしい」と思っているのではないでしょうか。

 

今回はその求人のうち、非常勤講師の募集について考えたいと思います。

 

実は以前、「日本語教師の求人の「待遇」の表記について」というタイトルのブログを書きました。


ここで「コマ給はなんとかならないのか」というようなことを書きました。

 

そして今、求人を見ていると多くの日本語学校“コマ給”なのです。

しかも、

 

 1コマ45分 1,800円~(能力・経験による)

 

非常に曖昧

 

なんとかならないのか

 

という言葉が、どうしても出てきてしまいます。

 

以前のブログでも引用しましたが、この「1コマ45分1,800円~(能力・経験による)」だけではよろしくないので、このように改善しましょう、というポイントが書かれた資料があります。

学習塾における講師等の労働条件の確保・改善のポイント[神奈川労働局]

https://jsite.mhlw.go.jp/kanagawa-roudoukyoku/var/rev0/0120/1443/20182221457.pdf

これによると、「従事すべき業務を具体的に明示しましょう」とあります。
「労働条件通知書」に明記するのはもちろんですが、求人の段階でもできるだけ正確に示してほしいものです。

でもそれが一向に改善されていない今、応募する側がきちんとポイントを押さえておく必要があるのかな、と思います。

まずはこちらをご覧ください。

 

(「1 労働条件の明示について(労働基準法第 15 条及び労働基準法施行規則第 5 条)」より )

このBの部分は給料としてどうなっているのか、応募時の問い合わせや選考面接の時点でしっかり確認したほうがいいと思うのです。
言いにくいかもしれませんが、「こんなもんだ」とか「初めてだから仕方ない」と思っていると今後一考に待遇が変わらないんじゃないかと思います。

 

私が今までの経験から、事前に把握しておいたほうがいいのは以下の5つです。

 

ア.打合せ・ミーティングへの参加・出席
イ.授業報告書の作成
ウ.授業準備
エ.テスト監督・採点(小テストから定期試験まで)
オ.授業時間外の学生からの質問・相談対応

ア~オがどのような形で支払われるのか、応募時の問い合わせ、選考面接のいずれかの段階で把握しておいたほうがいいと思います。
(大事だと思うので一番大きい字で赤い字にしました!)

 

例えば

<A校の場合>

アは時給1,500円で支払うが、他は全てコマ給に含まれる。
ただしオについては、非常勤講師は対応しなくてよい。

<B校の場合>

ア・エ・オは時給1,500円で支払うが、他は全てコマ給に含まれる。

<C校の場合>

イ・ウはコマ給に含まれる。
アは時給1,500円で支払う。
エ・オは専任講師が行うので非常勤は携わらなくてよい。ただし、授業時間中に行う小テストのみ、非常勤講師が監督をする。その場合の給料はコマ給に含まれる。

 

なんていう風に各校さまざまです。

ですので、事前の確認は大事だと思います。

 

さて、最後にちょっとだけ聞いてください。
ただの持論と言えば持論なのですが・・・。

何かというと、「授業準備の時間です。

日本語教師の求人を見て、昔からずっと腑に落ちないのが「授業準備の時間が給料に入っていないこと」でした。

いやあね、「授業準備なんて人それぞれなので、早く終わる人もいれば時間がかかる人もいる。だから給料として払うのは・・・」という考えがあるのはわかるのですが、やはり、「なんとかならないのか」って思うんです。

多分、私が「どうやっても準備に時間がかかる」派だから、というのもあると思うんです。
これは私が、要領が悪いからだと思います。何やっても時間がかかるんです。授業以外もです。

以前、養成講座で受講生さんからこのような発言をいただきました。

 

Twitterの文字数の関係で最初のほうを削ってしまったのですが、本来は「教案作ったり教具作ったりという準備に時間がかかりすぎます。プライベートの時間が削られすぎです。私の能力不足もあると思いますが、もう少し効率のよい授業準備というのがあってもいいのではないのでしょうか? 教案のサンプル、イラスト・写真が豊富にあれば…」という感じでした。

 

もう、「お恥ずかしながらその通りです」としか答えられませんでした。

 

準備に時間をかけすぎてはいけないのですが、準備に時間をかけて最低賃金下回るのもどうかと思うんです。

あと契約の話をすると、非常勤講師の場合、「業務委託契約」が多いと思うのですが、それならば本来の業務(授業)以外である準備や採点など、付随する業務を行わせるのならその分のお金も払わないと、とも思います。

しかも、雇用契約業務委託契約のどちらなのかが気になります。後者だとすると労働者性の観点から仕事の依頼、業務従事の指示等に対して許諾・拒否が可能なのですが、日本語学校ではどうなんでしょう? 結構、業務従事の指示があるんじゃないかと思うのです…。

 

横道にそれてしまいましたが、とにかく、授業準備に対して給料は払ってしかるべきと思います。


せめて、せめて、1コマ分を「授業準備給」として支払うのはどうでしょうか?

 

1コマ分のコマ給を1,800円としましょう。
(1コマ45分とします)

日本語学校では1日4コマ(180分)が基本なので、

 

1,800×4=7,200

 

です。少し早く学校に来てコピーをしたり、昨日の報告書読んだり、プロジェクタの準備したり、そして従業後に報告書書いたり、プロジェクタ片付けたり、っていうのをかりに30分だと仮定して、3.5時間働いたとみなすと

 

7,200÷3.5=2,057.14円

 

です。

仮に授業準備に1時間かかるとすると、

 

7,200÷4.5=1,600円

 

2時間かかるとすると、

 

7,200÷5.5=1,309.09円

 

3時間かかるとすると

 

7,200÷6.5=1,107.69円

 

東京都の最低賃金は2022年9月で時給1,041円。
2022年は10月1日からは、時給1,072円です。

3時間以上かけて準備すると、最賃以下になります。

人によるのは重々承知していますが、私は3時間はかかるんじゃないかと思います。
特に日本語教師の新人の頃は。

だから「せめて1コマ分を“授業準備給”として加算して!」って思うのです。

このままだと「割に合わない仕事」と敬遠される可能性もあります・・・。グスン。

 

ちなみに仮に1コマ分を「授業準備給」として加算した場合、一日の支払い額は

 

1,800×5=9,000

 

です。

 

準備に3時間かかるとすると

 

9,000÷6.5=1,384.62円

 

となります。劇的な改善とは言えませんが、最賃を下回るリスクは減る気がします・・・。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

マッサージと日本語教師


もともと肩が凝りやすい体質で、若いころから肩凝りに悩まされていました。
PCなんかが一番の大敵でしょうね。
なのに授業準備ではPCに向かいっぱなしという、矛盾した生活を送っています(笑)

そこで肩凝りがひどくならないようにするために長年お世話になっているのが、いわゆる「接骨院」または「治療院」です。
そこでマッサージを定期的にしてもらって、場合には整体とか鍼とか灸とかしてもらっています。

もう15年以上はお世話になっているでしょうか。

その間に担当の先生は2人代わり、今は3人目です。
今の先生は私より20歳ぐらい若い方ですが、まじめで勉強熱心な方で、主任になっています。

マッサージしてもらっているときって、よく雑談するじゃないですか。
その先生とも雑談をするのですが、ある時こんな雑談をしました。

「先生、明日はお休みですね。何か予定はありますか?」
「あ、明日は勉強会があるんです」
「勉強会?」
「はい。東京から有名な整体の先生が来て、直接指導してくれるというので。その先生、ほとんとど力かけずに整体ができちゃうそうなんですよ。超有名で」
「へぇ、すごいですね。そうやって日々研鑽しているんですね・・・」
「は、はい・・・」

先生の顔は見えませんでしたが、なんか照れくさそうな声で返事をしていました。

そのとき思ったんです。
「なんだ、日本語教師と同じじゃないか。やはり、よりよいものや新しいものについて学んでいってアップデートしてくんだ」と。


これがきっかけではないのですが、「接骨院」とか「治療院」に通っているうちに、この業界と日本語教師の業界について比較してしまう私がいました。
「良し悪し」を考えるわけでも「収入」を考えるわけでもなく、ただ、仕組みについて比べたくなったのです。

日本語教師の場合、言わずもがなですが、民間の養成講座で420時間と、大学での主・副専攻と、日本語教育能力検定試験の合格というルートがあります。修了者・合格者は留学生のいる日本語学校で働く、というのが多いかと思います。
もちろん、民間養成講座420時間、大学主・副専攻、日本語教育能力検定試験合格が無くても日本語を教えるということは可能です。プライベートレッスンとか、技能実習生に日本語を教えるなどであれば不要である場合も多いです。

働き方も変わってきて、日本語学校で働いていた方がフリーランスになり、プライベートレッスンとオンライン授業とで生活していく、というパタンになった方もいるでしょう。

マッサージの仕事(本当は正確な言い方じゃないけど、便宜上こう言います)に携わる人にとって、「接骨院」や「治療院」というところが「日本語学校」かな、と思います。そして、中には「独立」する人もいます。独立するのが、ちょうど日本語教師でいうとプライベートレッスンで生活していくことなのかな~、と思います。

 

そうそう。
接骨院」や「治療院」で働いている人は大きく言って3種類いることをご存じでしょうか。

あん摩マッサージ指圧師
鍼灸師(正確には、はり師・きゅう師)
柔道整復師

の3つです。

※「柔道整復師」については以下のリンク先をご覧ください

 

もちろん、これら3つを全て持っている人もいれば、2つ兼ねている、1つだけ、といろいろです。
あ、しかもこの3つはどれも国家資格です。身体の痛みや不調の治療という、医療類似行為に当たることを「接骨院」や「治療院」の中で行うことができる、といえばいいでしょうか。

例えば、あん摩マッサージ指圧師(以下、「マッサージ師」)がいないと、施設名や診療内容、メニュー名に「マッサージ」と書くことができないのです。マッサージ師がいない場合は「もみほぐし」とか「リラクゼーション」という言葉が施設名や看板に書かれます。

 

そしてこの画像も何かの参考になれば・・・。


※医療類似行為とは正確には医業類似行為といい、厚生労働省は「医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある『医行為』ではないが、一定の資格を有する者が行わなければ人体に危害を及ぼすおそれのある行為」と定めています。

 

さて、国家資格と言えば。

日本語教師も国家資格化する話がありますね。
あの辺のことは恥ずかしながらとんと不勉強で、どの方向に進むのかわかりません。

だから今から書くことは全然現実的じゃないかもしれませんので、お許しくださいませ。

接骨院」や「治療院」には、マッサージ師、鍼灸師柔道整復師がいると言いましたが、私の場合、体質的に鍼は向いていないそうなので、マッサージがいいのだそうです。でも中には鍼中心の人もいます。開業している人の中には鍼専門のところもあります。

そういった部分、日本語教育で言うと、「留学生への日本語教育」「技能実習生への日本語教育」「生活者への日本語教育」「子どもへの日本語教育」みたいな感じかな、と思うんです。

マッサージ師、鍼灸師柔道整復師の資格を取る人たちも、基本的なこととして「人間の体の仕組み」について学び、そこから専門のことも学んでいくんですよね。

日本語教師養成講座の場合は、今はどうやっても「留学生」「技能実習生」「生活者」「子ども」のすべてがいっしょになってしまっています。もちろん科目の中に「生活者のための日本語教育」というのがあるかもしれませんが、そこまで専門的なことをやるのでもないと思います。(違っていたらごめんなさい🙇)

なので、もし国家資格化するのなら、4つでいいから区分を設けるのはどうかな、と思っています。
1つだけでいい人は1つだけ。
4つとも取りたい人はもちろん取れるようにしたいです。
(資格取得のためのお金とか時間とかはひとまず置いておいて・・・)

国家資格だけに何らかのインセンティブみたいなもの(もしくは、お墨付き的なもの?)も必要でしょうね。
留学生について従来の告示校の精度があるので、ひとまず「告示校で働くことができる」でしょうか。
あと、子どもの場合は思い切って「小・中学校、高校で日本語を教えることができる」にしちゃってもいいんじゃないかと思います。教員免許に準じるものとしてしまってもいいと思うんです。
技能実習生、生活者については今のところ思いつきませんが、何らかの「お墨付き」が得られたらなと思います。

そう考えると、養成講座の授業時間とか4つもコースが生まれることでの煩雑さが伴うので、この辺の制度設計も考える必要があると思います。

 

そして、「やさしい日本語」の普及者になるための講座がありますが、あちらは民間資格の扱いでいいのかな、と思います。あとそうですね。ボランティアで教えていて日本語の仕組みとか教え方のことをちょっとでいいから知りたいな、という人向けの民間資格みたいなものを作ってもいいのかな、と思います。


<まとめ>

ここまで書いてきたことの一部を、まとめてみました。

 

【マッサージ等】

マッサージ系の国家資格(医療行為は認められないが、医療類似行為が認められる)
あん摩マッサージ指圧師
鍼灸師(正確には、はり師・きゅう師)
柔道整復師


マッサージ系の民間資格(医療行為・医療類似行為が認められない)
・アロマセラピスト
・リフレクソロジスト
・カイロプラクテスト
・整体師

 

働く場所

 接骨院・治療院
 病院(整形外科など)
 介護・福祉・医療施設
 スポーツ施設、スポーツトレーナー

 美容サロン、エステサロン
 もみほぐし・リラクゼーション店

上の4つは要国家資格。下の2つは要民間資格、または無資格でも可能。

 

日本語教師】 ※ニシクマの妄想

国家資格
 留学生対象日本語教師
 技能実習生対象日本語教師
 生活者対象日本語教師
 子ども対象日本語教師

 

民間資格
 「やさしい日本語」普及者
 ボランティアコース日本語教師

 

働く場所

 留学生のいる日本語学校(告示校)
 技能実習生の日本語研修機関
 自治体の国際交流協会
 小・中学校、高校

 ※上の4つは要国家資格。それ以外は要民間資格、または無資格でも可能。

 

以上です。

最後までお読みいただきありがとうございました。

「日本語教育能力検定試験 聞かない音声の対策講座」の講師を務めます。

すみません、今日は告知です。
告知をさせてください。

 

 日本語教育能力検定試験を受験する予定の皆様】
 
日本語教育能力検定試験が来月に迫ってきました。
受験票も今月下旬には皆さんのお手元に届くと思います。
検定試験の勉強は進んでいますでしょうか。
 
この度、一般社団法人日本語フロンティア主催の日本語教育能力検定試験対策講座の講師を務めることになりました。以下の日程で開催いたします。
 
 <名称>
 「日本語教育能力検定試験 聞かない音声の対策講座」

 

 <日時>
 9月19日(祝・月) 10:00~11:30
 
 <開催方法>
 オンライン(Zoom使用)
 
 <受講料金>
 1,500円(振込手数料はお申し込みをされる方のご負担でお願いいたします)
 
 <お申し込み方法>
 以下のリンク先に接続するか、下のほうにあるチラシ画像のQRコードを読み込んで、お申し込みください。
 お申し込みを確認した後、お振り込みの方法等を日本語フロンティアからご連絡いたします。
 (ご連絡に2~3日かかる場合がございます。予めご了承ください
 
 ◆「聞かない音声の対策講座」お申し込みフォーム

 

 <録画配信について>
 9月19日の講座の模様をそのまま録画したものを期間限定で配信する予定です。
 詳細は改めてご連絡いたします。


さて、試験Ⅱ(聴解問題)の仕上げ状況はいかがでしょうか?
 
今回開催する「日本語教育能力検定試験 聞かない音声の対策講座」では、試験Ⅱ(聴解問題)の問題1~問題3の仕上げのお手伝いをいたします。
 
平成22年度から令和3年度までの過去12回分の問題を徹底的に分析し、過去の出題パターンから「どの部分に注目すればよいのか」「狙われやすいところはどこか」を詳しくお伝えいたします。
 
今回の講座では、音源は使用いたしません
もちろん著作権の問題もありますが、この講座では徹底的に分析した過去問の出題傾向をお伝えするためデータの提示を中心に行います。
それゆえ、タイトルが「聞かない音声の対策講座」と一風変わったものになっております。
今までの個人での聴解対策の勉強の中で「耳ならし」はできていると思います。最後に出題傾向をきっちり押さえて、心がまえならぬ「耳がまえ」をしておきましょう!
 
なお、「拍の長さ」「アクセントの下がり目」などの用語の説明は行いません。予めご了承ください。
 
皆様のお申し込みをお待ちしております。

 

<以下、チラシです>

 

「日本語教育能力検定試験 聞かない音声の対策講座」の講師を務めます。

すみません、今日は告知です。
告知をさせてください。

 

 日本語教育能力検定試験を受験する予定の皆様】
 
日本語教育能力検定試験が来月に迫ってきました。
受験票も今月下旬には皆さんのお手元に届くと思います。
検定試験の勉強は進んでいますでしょうか。
 
この度、一般社団法人日本語フロンティア主催の日本語教育能力検定試験対策講座の講師を務めることになりました。以下の日程で開催いたします。
 
 <名称>
 「日本語教育能力検定試験 聞かない音声の対策講座」

 

 <日時>
 9月19日(祝・月) 10:00~11:30
 
 <開催方法>
 オンライン(Zoom使用)
 
 <受講料金>
 1,500円(振込手数料はお申し込みをされる方のご負担でお願いいたします)
 
 <お申し込み方法>
 以下のリンク先に接続するか、下のほうにあるチラシ画像のQRコードを読み込んで、お申し込みください。
 お申し込みを確認した後、お振り込みの方法等を日本語フロンティアからご連絡いたします。
 (ご連絡に2~3日かかる場合がございます。予めご了承ください
 
 ◆「聞かない音声の対策講座」お申し込みフォーム

 

 <録画配信について>
 9月19日の講座の模様をそのまま録画したものを期間限定で配信する予定です。
 詳細は改めてご連絡いたします。


さて、試験Ⅱ(聴解問題)の仕上げ状況はいかがでしょうか?
 
今回開催する「日本語教育能力検定試験 聞かない音声の対策講座」では、試験Ⅱ(聴解問題)の問題1~問題3の仕上げのお手伝いをいたします。
 
平成22年度から令和3年度までの過去12回分の問題を徹底的に分析し、過去の出題パターンから「どの部分に注目すればよいのか」「狙われやすいところはどこか」を詳しくお伝えいたします。
 
今回の講座では、音源は使用いたしません
もちろん著作権の問題もありますが、この講座では徹底的に分析した過去問の出題傾向をお伝えするためデータの提示を中心に行います。
それゆえ、タイトルが「聞かない音声の対策講座」と一風変わったものになっております。
今までの個人での聴解対策の勉強の中で「耳ならし」はできていると思います。最後に出題傾向をきっちり押さえて、心がまえならぬ「耳がまえ」をしておきましょう!
 
なお、「拍の長さ」「アクセントの下がり目」などの用語の説明は行いません。予めご了承ください。
 
皆様のお申し込みをお待ちしております。

 

<以下、チラシです>

 

イリノイ


今から22年前の8月の話です。

1997年の8月から在籍していた韓国の職場を3年で退職し、
日本に帰ることにしました。

3年の勤務でしたが、退職金がいくらかいただけるとのことでした。
ちょうど海外旅行をするのにいい金額だったので、北米方面に旅行することにしました。

私が住んでいた大邱から飛行機でソウルの金浦空港に行き、そしてシカゴ経由でカナダのトロントへ。
(ちなみに仁川空港が開港するのは2001年3月)

トロントを拠点に1週間ほど滞在した後、再びシカゴに戻ってまいりました。
トロントの話はまた機会を改めて)

シカゴのオヘア空港に降り立ってからシカゴ市内へ…行きませんでした(笑)

 

実はアメリカに来たのには別の目的地がありまして。

 

その目的地に訪れる話の前に、私の学生時代の話をさせてください。

大学1年のとき、英会話の授業がありました。
そのときの英会話の先生の授業が当時の私にとってはとても新鮮でした。

軟式テニスのゴムボールを持ってきて、それをポイっと学生のほうに投げて、それを受け取った学生は何かを話さなければならない」とか、

正月の『こま』とか日本的な道具を持ってきて“Describe!”って言って英語で説明させる」とか、

私にはビックリの連続でした(笑)

 

ビジターセッションもありました。
でも規模が違います。

大抵ゲストを呼ぶときは1人か2人なのですが、学生が20人に対して20人ゲストを呼んできたのです。
つまり1人につき1人ゲストがつくという・・・。
どうやら短期留学をしに来ていた外国人留学生の1クラス分がまるごと英会話の授業に「ゲスト」としてやってきたのですが、
いや~スゴいこと考えつくもんだ、と思っていました。

 

ちなみに、私が日本語教師になってから、この先生が英会話の授業でなさっていたアイデアはだいぶ使わせていただきました。
私が学生の当時はその先生が授業でしていたことのメモを取っていなかったのですが、あまりにも教え方が新鮮だったので記憶に残っていたようで、いざ自分が教えるときにアイデアが出てきたんです。

そしてある日、“Describe!”の関連の時間だったと思うのですが、チェスの話になりました。
多分、日本人になじみのないチェスについて英語で説明させることで英語力のアップを図る目的だったと思います。

でも私、チェスのルールを知っていたんです。
私の拙い英語力で、頑張ってみんなの前でチェスの話をしました。

そこからどうしてなのかはわかりませんが、英会話の先生自身がチェスに興味を持って、私に「今度時間があるときに私の研究室に来ないか? チェスをやろう」と誘ってきたのです。
数日後、その先生とチェスをして、私が勝ちました。

そのとき、先生は英語で「Thanks for playing chess...」みたいなことを英語で言っていたと思うのですが、言い方が穏やかなのに対して顔が真っ赤になっていて、若い当時の私でも「ああ、これ、悔しくて怒っているんだな」と思いました。

それからほぼ毎週金曜日の4限の終わった時間(確か午後4時半ごろ)の後に先生の研究室に行って、チェスをするということが続きました。

やっぱり、その先生悔しかったんです。日に日に腕を上げていって、ついには私を負かしてしまうところまで来ました。しかも、「あなたもstandard tactics(定石と言えばいい?)を身につけろ」とまで言ってくるようになりました。
なので私も頑張ってチェスの勉強して、毎週金曜日にその先生とチェスをするという生活でした(笑)

チェスの後、「ウチへ寄ってご飯食べていかないか?」と言われ、ずうずうしくもご飯食べて帰ってました。
英会話のアメリカ人の先生、日本人の奥さん、そして保育園と小学校の娘さん2人に日本人男子大学生が毎週金曜日の晩ごはんを一緒に食べるという、今考えたら何とも不思議な生活でした(笑)
娘さん2人も私にとてもなついてくれて、日本語でいっぱいお話をしました。物語の読み聞かせをした記憶も(笑)

 

でもその生活も、私が大学を卒業すると同時に終わりました。
その先生も任期が満了したのです。

ほぼ4年間、そういう深い付き合いをした割には連絡先を交換することもなく、あっさりとしたお別れでした。


でも、私の中では相当印象が深い先生だったので、忘れることはありませんでした
先ほど書いたように、私が日本語教えるときにも相当参考にしたぐらいなのです。

 

ちなみに私が大学院に行っている間に、いくつか論文を読んだのですが、その中の1つが、その英語の先生による論文でした。
当時の大学院の教授が言うには「ああ、ニシクマ君の英会話の先生って、●●先生だったの? あの先生ね、第二言語習得研究をしてたんだよ。あと教授法も研究してたみたい」と。

「あー、なるほど」と思いました。教え方の新鮮さを感じていたのはそのためだったのだと。
あと、ときどきデータ取りみたいなことをしていたことも思い出しました。

 

そしてそんな私も、英会話の先生のように日本語の先生となり、韓国で日本語を教えました。その英会話の先生のことを忘れることなく。

それから3年が経ち、韓国の職場を離れる際に思いついた北米旅行。

「そうだ! あのときの英会話の先生に連絡を取ってみよう!」と思ったのでした。

幸い、珍しい名前の先生だったので検索で掛かるだろうと思っていました。
案の定、すぐ見つかりました。
イリノイ大学にて働いていることがわかりました。

すぐさまメールをしました。
「覚えていますか? 私、あなたのクラスで英語を勉強していたニシクマです………」という感じで。

そしたら、すぐに返事が来ました。

「もちろん覚えているよ! こっち来るのかい? じゃあ会おうよ!」
と、トントン拍子で話が進み、3泊ほどおうちに泊めてもらえることになりました。

ということで、オヘア空港からバスに乗り込み、イリノイ大学のあるアーバナという街まで行きました。
移動時間3時間。
ひたすらトウモロコシ畑が続く中をバスは走り続けるという、初めての経験をしました。

そして、アーバナに到着。
バスターミナルでその先生が出迎えてくれていました。

その時点で約6年ぶりの再会でした。

久しぶりの再会の後、バスターミナルから先生の家まで車に乗せていってもらいました。
そのときの恥ずかしいエピソードが、これです(笑)

 

「1,000,000」のように3ケタで区切るのに慣れていないので、こういうミスを今でもしてしまいます(笑)

 

さて次の日、その先生がイリノイ大学を案内してくれました。

イリノイ大学」と言いますが、正式には「イリノイ大学アーバナシャンペーン校」と言うそうで。
ちょうどイリノイ大学のキャンパスが「アーバナ」という街と「シャンペーン」という街にまたがっているのでこんな長い名前になっているのだそうです。

まずはその先生の職場を見せてもらいました。当時とは異なり、認知心理学の研究をなさっていました。
認知と言っても視覚・聴覚を機材を使って活用するもので、今のVRにつながるような研究だったと記憶しています。
確か、「方向感覚がなくなる部屋」というのに入れてもらったことがあるのを覚えています。

今思えばいくら働いている人の知り合いとはいえ、そんな施設にいきなり入れてもらえて色々体験させてもらっていいのかな~なんて思ったりもしました。

翌日も大学を見せてもらいました。とにかく広かったのを覚えています。なので「今日は自転車に乗って移動だ!」と言って、自転車を借りてきてくれて、自転車2台でキャンパスを回りました。

 

そのとき、忘れられない体験をしました

アメリカと言えば、フットボールじゃないですか。
NFLだけでなく大学のフットボールも有名ですよね。

もちろんイリノイ大学にもフットボール場がありまして。

Google mapより)

 

幸い、練習していなかったので敷地内に入ることができました。
しかも自転車のまま

そして自転車を止めて、降りてからフィールドを間近で見たのですが、「私にはなかなかできない経験だろうな」と思ってちょっと緊張しながら見ていました。

そしたら、その先生が自転車のほうに戻って、自転車にまたがって

 

「行こう!」

 

て言うんです。

「はいはい、もう行くのね。そうだよね、アメリカ人にとっては大事な場所だからあまり滞在しないでおこうってことかね」

と思って私も急いで自転車にまたがったら、

 

“Go aross this field!”

 

みたいなことを言ったんです、確か。

そして自転車を漕ぎ出す。

2人して、自転車でフィールドを横切っちゃいました(笑)

多分、その先生の茶目っ気だと思いたいです。
急に「やってみたい」と思ったのかもしれません。
私は「相変わらずやることが新鮮だな」と思ったのでした。

見つからなくて、よかったです(笑)
見つかってたら、きっと怒られてたような・・・💦

 

あとは、その先生の家でパンケーキ作って焼いたり、ご飯作って食べたりしてました。
小学生と中学生になっていた娘さん2人も6年のブランクにもかかわらず私に相変わらず仲良くしてくれて、楽しい時間を過ごしました。

 

そして最終日、再びバスに乗ってシカゴのオヘア空港まで行き、ソウルの金浦空港まで飛びました。
確かこのフライトが13時間ぐらいかかるフライトで、私の人生の中で一番長いフライトだったと思います。
とにかく退屈でした(笑)
さらに飛行機を乗り継いで大邱まで行き、北米の旅は終わりました。

 

それから急いで引っ越しの荷物を日本に送り、数日後には韓国生活も終えて日本に完全帰国したのでした。

 

いや、その前に台湾に行ったんだった(笑)
台湾の話もまたいつか書きたいと思います・・・。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

25年前の韓国

思えば25年前、職業としての日本語教師生活を始めたのが韓国でした。

大学の3年生のとき日本語教師になりたいと思いましたが、そこからだと単位が集められないことに気づき大学院に通ってなんとか日本語教師の単位を集めた私。
(まだ1990年代半ばには養成講座というものがほとんどなかったんです)

 

「よし、日本語を教えるぞ!」と意気揚々と就活を始めたものの、
当時は阪神・淡路大震災や、オウムの事件等の影響か、学習者が減っていた時期でして…💦
日本語学校に応募しても面接してもらえればいい方だったなぁ」という時期でした。

 

大学院時代にお世話になった先生に就職について相談したみたところ、韓国での就職を紹介してくれました。
当時は若いこともあり、「何事も経験しなくちゃ」と思い、即座に「行きます」と返事いたしました。

 

6月に面接に行きました。
(今みたいにZoomで面接という訳にもいかなかったので…)
そのとき、生まれて初めて韓国に行きました。

釜山から列車に乗り、洛東江(ナクトンガン)という川を見て「大きな川だな」と思ったこと以外はあまり記憶にありません。
面接も形ばかりで、既に内定していたものだったため、今後のビザの手続きや、正式な韓国入国時期についての説明等を受けていったん帰国しました。

 

そして、今からちょうど25年前の1997年8月23日、韓国に到着。

【ちょうど25年前の今日!】

 

カレンダーで調べてみたら土曜日でした。
なので恐らく25日の月曜日から勤務開始したのだろうと思います。

 

ちなみに、当時はまだ『みんなの日本語』がありませんでした。
技術研修生(今の技能実習生)向けに『新日本語の基礎』はありましたが…。

私がその職場で最初に使っていたのは『新文化日本語』でした。
あとは『モジュールで学ぶよくわかる日本語』と
そして、『SITUATIONAL FUNCTIONAL JAPANESE』(SFJ)。

この中で私はSFJが一番好きでした。
場面やイラストで示されたものに対して「どうやって言えばいい?」というスタイルの教科書。
今でいう、『できる日本語』などにも通じるものがあると思います。

SFJ。今でも本棚に置いてあります】

 

あとは教室の学習者に合わせて適宜アレンジして、試行錯誤も重ねて授業を続けていきました…。

2000年の8月まで3年、滞在しました。
2000年の8月に退職したときに旅行をしたのですが、そのときのことはまた別のエントリーにて書きたいと思います。

 


さてさて。
韓国での生活について書いておこうと思います。

私、25年前の当時は韓国にそれほど興味があったわけではなく、
就職が決まった6月から韓国語の勉強を始めたのでした。
NHKのテレビやラジオのハングル講座をなんとなく聞いていたぐらいで、
1997年8月に韓国に来た当時は、韓国語は全く話せませんでした。
ハングルも怪しかったです(笑)

【この画像だけよそから拝借】

 

鶏or鶏肉を表す“닭”という看板を見て「下にハングルが2つあるって聞いてない~!」と焦るレベルでした💦

でもサバイバルは大好きなので、市場に紙の辞書片手に買い物しに行ったこともあったなぁ(笑)
出川さんじゃないけど、気持ちがあれば最終的には通じると思います(笑)(笑)

 

その後、「せっかく生活しているのだから」ということで我流ですが韓国語の勉強を始めました。

韓国人向けの日本語の初歩の本が私にとってのちょうどいい韓国語テキストでした。
それを片手に、時々学生を捕まえて「どうしてこうなるの?」と質問し続ける毎日でした。
あとはテレビとかラジオをとにかく聞きまくるっていうことをしていました。
すると、だんだんわかってくるんですよね。
聞いてわかる言葉が増えだすというかなんというか。

 

そして、25年前の来韓当時で印象的なことがありました。

それは、音楽です。
テレビやラジオ、はたまた繁華街や街角から流れてくる曲。

ことあるごとに同じ曲がかかり続けるのです。

 

それが、H.O.T.(エイチオーティー)という5人組アイドルの「幸福」という曲でした。

テレビを見ているとSMAPよりもかなりの熱狂的なファンによって支えられている感じがして、
なおかつ国民的なアイドルのような感じでした。

「幸福」という曲がどこかでほぼ毎日かかっていました。

 

【前までは中国語訳ついてなかったのに、今日見たら、字幕ついてました…💦 MV見てると当時はやりのヒップホップのダボダボの格好が時代を感じさせますが…】

 

私、この曲が無かったら、あんまり韓国の音楽に興味を持たなかったかもしれません。

もちろん、この曲の前から韓国の音楽でも知っているものはありました。

서태지와 아이들(SeoTaiji and Boys)の存在は、仲良しの在日の子がファンだったため知っていたのです。
(ちなみにメンバーの一人のヤン・ヒョンソクはYGを作った人)

K-POPは詳しくはないのですが、今のBTS、遡って東方神起、BIGBANGなど有名な人たちの源流をたどるとH.O.T.に絶対にたどり着くと思います。もちろんさらにはSeoTaiji and Boysにも行きつくのですが、K-POPをアイドル中心に添えたのはH.O.T.が最初ではないかなと思います。

 

話変わりますが、この当時はまだKTXはまだありません。
KTXというのは、高速鉄道のことです。新幹線といえばいいかな)

Wikipediaより】

 

私が住んでいたのは大邱(テグ)という街だったのですが、そこからソウルまでは最速の列車で3時間ちょっとかかっていました。
ソウルのほうが街としては楽しかったので、週末などによく出かけていました。
今思えば、スマホもない時代、よく3時間も列車におとなしく座れていたな、と思っています(笑)

今はKTXで1時間半ぐらいと半分で行けるようになりました。

1時間半ならもっと頻繁にソウルに行ってたかも。

 

【あ、この画像もよそから拝借…💦】

 

バスの移動もけっこうしていたな~。

水曜どうでしょう」で韓国のバスは有名になったと思いますが…(笑)

 

意外と快適だったんです、移動が。

そのために、バスを使って

「ビビンバを食べるだけために全州(チョンジュ)に行く!」とか

タッカルビを食べるだけのために春川(チュンチョン)に行く!」とか

今ならYouTubeの企画としても成り立ちそうなこともよくやっていました。

 

むむむ。

なんだかとりとめのない文章になってしまいました。

この辺でとめておきましょう。

 

以上、私が日本語教師生活を始めた、25年前の韓国についてでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

【最後にオマケで韓国時代の私! ただし冬。当時も食べることが大好きでした(笑)】