今、毎週日曜日に某養成講座に行っています。
日本語教師養成講座で使う教室が9Fと11Fの2箇所にあります。
11Fの教室のほうには、受講生さんが閲覧することができる本棚があります。
その本棚がなかなかスゴいんです。
何がスゴいのかというと、新旧の混じり具合が並みではないのです。
ウチの養成講座の本棚、新旧の混じり具合がスゴい。でき日の隣にIMJ。SFJの間にしれっとE.Jordenの教科書が。博物館級ですよ、これ😅
— Kumar(西隈俊哉) (@route2490) 2023年2月19日
それにしても、SFJはやっぱいいなぁ。SFJ見てるとでき日に新鮮味を感じません。でき日をお使いの方、SFJも見てみてください。こんな教科書が30年前にあったんです。 pic.twitter.com/2KtLDFGYqr
でき日-IMJ-よくわかる-これだけ
なんじゃ、この並びは・・・💦
別の棚にはSFJや新文化もあります。
そのSFJや新文化の2つが、私が好きな教科書でした。
あ、私が日本語教師を始めたのは1997年でしたが、まだこのときみん日はありませんでした。
翌年の1998年に発行されました。
技能実習生向けの新基礎は、1997年当時はありました。
さて、でき日の一番の醍醐味と言えば、やっぱり「できる!」ですよね。
(変な押し売り開始)
「できる!」をやるために、「チャレンジ」「言ってみよう」「やってみよう」があるのだと思っています。
タスクが提示され、今までに身につけたことにその課で習ったこともプラスして自分たちで考えて表現する。
これこそ語学の授業の楽しみなんじゃないかと思うのです。
例えば初級(赤)の4課では「自分の国・町について話しましょう」があるのですが、始まって間もない4課でもう自分の国・町紹介です。自分の国・町を知ってもらい、他の留学生とつながりを持つためのいい機会なので、楽しくないわけがありません。
今までみん日を使っていてでき日に移った方から見たら「なんだこれは!」と驚くかもしれません。
みん日って、ないんですよね。アクティビティー的なものが。
『クラス活動集』があり、各課に対応しているのですが、日常的に使っている学校はほとんどないんじゃないでしょうか。
みん日を使っている学校では、教科書+文練帳+標問をひたすら行うのが多い気がします。
聴タス、読めトピ、やさ作を使うか使わないかは学校次第かな。
「流しの日本語教師」としてみん日を使っている学校をいくつか見てきましたが、教科書+文練帳+標問にプラスして聴タス、読めトピ、やさ作のどれか、っていう感じばかりでした。『クラス活動集』を進度表に入れているところは見たことがありません。『クラス活動集』を使わずに別のアクティビティを設けている学校も見たことがありませんでした。
言い方が悪いのですが、みん日を「月~金の時間割という型」に流し込んでオーブンで焼いて、いっちょ上がり!的な感じがぬぐえません。焼きムラができてうまく火が通らなかったところだけ取り出して、「もう一度焼く」っていうことも見られる気がします。
2年間という限られた時間の中でN3~N2を目指すとなれば、必要な材料でさっと混ぜて型に流して焼くのがベストだという判断に基づくのだと思うのですが、私としてはなんだか物足りないのです。
なので、私はみん日を使いながらも「自分の国紹介」とか「寮の近くおすすめの店紹介」とか「自分の国でしていいこと・いけないこと」とかを発表したり聞きあったりする活動をこっそりとやっていました。練習Cはそこそこにして、やってました。
でき日の「できる!」ですが、さっきも述べたように、みん日からでき日に移った方から見たら「こんなもの初めて見た!画期的だなぁ」と思うかもしれません。
でも、昔からあったんです。
SFJにもあるんですよ。
7課には、「2人で1組になり、片方が映画の上映案内を見ながら、もう片方は何も持っていない状態で電話をする。その状態で電話をかけてどんな映画を見に行くか決めなさい」なんていう活動があります。
楽しいと思いませんか?
私は、こういうことやりたい人なのでワクワクします。週末、映画を見る時間とお金はあるけど「何見ようか?」っていうことは現実にもありませんか? だからリアリティーもあって、ためになると思うんです。
こういう活動が入っているから、SFJは好きでした。
そして、もう1つ好きなのが新文化です。新文化の関連教材に『楽しく話そう』というのがあるのですが、私にとってはこの本の活動が、初級日本語の授業をするときにとても重宝しました。私自身も、これを使って授業をするのが一番楽しかったです。
その中の1つに、『私は大統領』というものがあります。とある国の大統領になって施政方針演説を行う、というものです。
文型としては「~なくてはいけません」はみん日では扱わないので、「~なければなりません」に変えることが必要ですが、それさえすれば、この写真のページの部分は31課を習ったときに実施することが可能です。
「大統領になる」という点ではリアリティーの面では欠けますが、ルールを作り、それを自らの方針として発表する、ということは現実にも近いと思うので、やって損はないと思います。
若いころからアクティビティー的なものを取り入れた授業に慣れ親しんできたので、みん日を使って授業をする段になると
「私はこういう授業がしたいんじゃあ」
と叫びたくなります。
叫びたくなるだけで、叫ばないのですが(笑)
あ、みん日本冊にも、こういう活動があると言えばあるんです。
19課の課末問題から「あなたの国の有名なところはどこですか。書いてください」とか「名前について面白い話がありますか。話してください」というのがあるのですが、なんか「取ってつけた感」が満載で、「この課でこういうことを習ったから、それができるようになるためにやってもらおう」という感じが全くしないのです。
でもどうなんでしょうか?
課末の最後の活動的な部分、実際に取り組んでいる日本語学校はどれだけあるんでしょうか? 発表する時間、お互いに聞きあって評価し合う時間はあるのでしょうか?
さっきも述べましたが、どうしても「みん日を使っている学校では、教科書+文練帳+標問+(聴タス、読めトピ、やさ作)」だけで終わっている気がします。発表するとか意見を述べるとか、初級のうちにやっているのでしょうか?
それの副産物として考えられることの一つが、みん日が終わって中級に入ったとき、中級の総合教科書の「ディスカッション」とか「発表しましょう」的な部分に対して「どうやって進めればいいんだろう?」と戸惑ってしまうことだと思われるんです。
学生も、中級になって急に「発表しましょう」って言われて戸惑ってしまう気もします。
余裕はないのかもしれませんが、できれば練習のCをさっと終わらせて、課末問題をさっと終わらせて、初級にもアクティビティー的なものを入れてほしいな、と思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。