何も前置き無しに始めてすみませんが、
既存の何かを変えたいとき、新しいものを作りたいときは、
極論を言わないほうがいいと思います。
(乱暴な進め方と言ったほうがいいのかな)
極論を振りかざされると、敬遠して周りの人がついてこないと思うんです。
丁寧に意見を述べることで賛同者を募り、変えたほうがいい雰囲気を醸成したり、新しいものが必要だという意義を醸成していくのがいいんじゃないかと思うんです。
いつも思うのが、『できる日本語』の浸透についてです。
『できる日本語』を製作した中心人物である嶋田先生は、みんなの日本語の問題点を丁寧に説明してくださって、そのうえで「こういう教科書を作りました!」と述べていらっしゃいます。
この嶋田先生の姿勢があった方らこそ、『できる日本語』は浸透した、と私は思っています。
じっくり、じわじわじゃダメなんでしょうかね?
どうしても、嵐を起こすような感じじゃないとダメなんでしょうか?
不思議でなりません。
あと、教科書の議論などで思うのですが、出版社とかも巻き込まないと、と思います。
ユーザー同士で良し悪しや使い勝手を議論するのもいいのでしょうが、それでは教科書は変わらないと思うんですよね。
教科書を作っている人が理想ですが、せめて教科書を作っている出版社に声を届ければいいのに、と思います。
上手く言えないのですが、議論をするのなら、多くの人を巻き込んでいかないと、と思います。
巻き込むには、周りの気を一瞬で引くような極論ではなく、徐々に浸透していくような丁寧な議論をしてほしいな、と思うんです。
言い方が雑ですみませんが、コップの中の嵐はそろそろ終わりにしたいです。
今日のブログは、ぼやきでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。