くまーるブログ

あやしうこそものぐるほしけれ。

なんで中級教科書論争は起きないの?

晦日です。
2020年も終わろうとしています。


2020年をいろいろ振り返っているのですが、
日本語教育関係のツイートに特徴的なものの1つが「初級教科書論争」とでもいうのでしょうか。
初級教科書の是非をめぐる議論です。

 

今年も数度起きたようです。

「ようです」と書いたのは、辟易してしまい、最近はできるだけ見ないようにしているからです。

 

辟易している理由は、以下の2点です。

 

Twitterの中だけで、かつ、特定の人だけで議論している印象があるから

②中級との関係性、その中でも中級教科書との関連で論じているとは思えないから

 

上記のことについて、さらに細かく述べてみたいと思います。

①については、Twitterにいる人だけじゃなくて、広く意見を聞いてみたらどうだろう?」と思います。Twitterをやっていない日本語教師、さらにはあまりSNSをしない日本語教師の人に意見を聞いてみてから論じてもいいのでは、と思います。
あと、日本語学校の目線になってしまいますが、経営者や校長、そして教務主任の教師に意見を聞くのもいいかなと思います。経営者や校長の中にはあまり日本語教育に詳しくない人がいるかもしれないので、せめて教務主任をしている日本語教師に意見を聞いたり、議論をしてもらうのはどうかな、と思います。

②については、教科書について論じているのに、なぜか初級だけで終始していることが、私にとっては疑問です。初級が終われば中級に行くのに、中級の教科書のことはあまり気にしていないというかなんというか…とにかく不思議です。
そう言えば、「中級教科書論争」というのが起きたのを見たことがありません。個人的には『○○○別 ○○から○○日本語』とか『○○を○○う』とか『○○○日本語 中級』とかの使い勝手とかの意見・議論を見たいと思うのですが…。

もちろん、①についても②についても、実際には議論が行われていて、「くまーるさんが知らないだけだよ」というご指摘を受けるかもしれません。そうだとしたら、私の認識不足なので、見聞をより広めていかないといけないのかもしれません。

 

ここまで述べて、急に3点目として出てきたことがあります。私自身がロジトレを出しているからということで気になるのですが、

「(論理的)思考力」との関連はどうなんでしょう?

行動中心であれ、文型中心であれ、学習者の思考力の育成をどのように行っているのか、個人的には気になります。特に口頭発表とか作文とかの活動に結び付ける場合、行動中心ではどのようなアプローチが考えられ、文型中心ではどのようなアプローチが考えられるか、そういった議論も欲しいな、と個人的には思います。

たとえその場面に合った表現が使えて会話ができたとしても、口頭発表能力や作文能力の発展につながらなかったらそれはそれで問題だと思いますし。
(もちろん、口頭発表や作文が必要ではない学習者の場合はこういうことまで気にしなくてもいいのだと思いますが…)

 

ここで余計な一言なんですが、初級教科書論争と同じくらいの割合で見かけるのが、日本語教師の待遇についてでした。これについても、Twitterの中だけで議論するんじゃなくて、経営者や校長、そして教務主任の教師を巻き込んで議論すればいいのにな、って思います。

 

来年は、様々な立場の人を交えて、幅広い議論がなされることを願っています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。