くまーるブログ

あやしうこそものぐるほしけれ。

それでも『みん日』は選ばれる

 Twitter日本語教師界隈での風物詩、もしくは定例行事(?)の一つに、「初級教科書論争」があります。
 簡単に言うと『みんなの日本語』という初級教科書をめぐる発言から始まる議論というか論争というか…。

 

 まず、私個人の立場を述べておくと、「どの教科書選んでも一長一短。学習者の目的も様々だし、学習者の満足の得方もそれぞれなので、一概にこの教科書、この教え方がいいとは言えない」という立場です。

 

 さて、タイトルに書いた言葉ですが、こういうことがあったからです。

 

 ある学校で、教科書を『みん日』から別の教科書に変えることになった。

 しかし、別の教科書に変えた後、学校の体制が変わり、教員構成も変わってしまった。

 結果、また『みん日』が選ばれた。

 

 複数の学校で、こういうことが実際に起きました。

 「どうして?」という気持ちになります。

 そして、別のケースとして、こういうことも。

 

 ある新設校で『みん日』が選ばれる。

 

 この話も、よく聞きます。

 これもやはり「どうして?」という気持ちになります。

 訳が知りたくなります。教師の教育観とかそういうもの以外に何か理由があるんじゃないかと思い、ここ1・2カ月の間、いろんな方にお話を聞いてみました。
 そしたら、それなりの理由があることがわかってきました。

 

 今回はまず、それを書こうと思います。そして、そのあとで私の意見を書こうと思います。

 なお、今回書くことは、「留学生を教える日本国内の日本語学校(告示校)」でのことを想定しています。予めご了承ください。

 

【イ】カリキュラムが立てやすい

 『みん日』はご存じのように、練習A、練習B、練習Cときっちりとパートが分かれています。「○月△日は◇課の練習Bの5番まで、次の日に6番から」みたいに区切りやすくなります。
 日本語学校の場合、イベントとか行事がいろいろ入るので、区切りが分かりやすいほうがカリキュラムを立てるのが楽になります。

 カリキュラムデザインというよりはコースデザインに当たる部分で一つ補足があります。
 日本語学校では2年間(1年半の学生もいますが)のコースで目指すのは、理想ではN2合格とされているんじゃないかと思います。しかし現状ではN3合格が関の山、という学校も多いのではないでしょうか。特にコロナ禍での現状ではJLPTが実施されるかされないかが不透明な中でコースデザインをしていかなければなりません。
 そうなると、進度が見えやすい『みん日』を採用するのも分からないでもないんです。『みん日』は後半になるとN3の文法項目が現れます(有名なのは47課の「~によると」かな)。そういうことがわかっているので、N3合格までに『みん日』を使ってどれだけしっかり教えればいいのか、そして中級にどうやってつなげていくか、についてのメドが立てやすいです。

 

【ロ】講師間での引き継ぎが楽

 日本語学校の場合、月曜日はA先生、火曜日はB先生、という風に曜日によって異なる先生になることが多いです。非常勤の先生のスケジュールを優先するので、曜日割りになることは普通だと思います。あと、学校によっては1日4コマのうち、前半2コマがA先生、後半2コマがB先生、っていうこともあります。
 そうなると、講師間の引き継ぎが必要になります。この場合、『みん日』以外の教科書(例えば、場面設定されたイラストを見てそれに合った表現を学生に言ってもらうタイプの教科書)の場合は、授業で出てきた表現があれこれ出てきて話が広がりすぎてしまった場合、それを次の先生に引き継ぐのが大変になってしまいます。授業報告に膨大な時間を取ることになるかもしれません。
 でも『みん日』だと、「練習Bの5番の3つめのが終われませんでした」みたいにサラッと言うだけで引き継ぎ完了になります。授業報告書もそのように書けばいいだけです。教師としても早くおうちに帰れるだろうと思います。
 あと、ある先生が風邪を引いて急に授業を休んだとしましょう。そういったときの代打時にも引き継ぎが必要ですが、『みん日』の場合、「前の先生がどこまでやり、自分はどこからどうやればいいのか」が把握しやすいので、急な代打が来ても楽だと思います。

 

【ハ】副教材が多い、プリントが豊富、教案例が豊富

 副教材の多さは、教師の選択の幅を広げてくれます。薬を調合するかの如く、学習者の弱点に合わせて副教材を組み合わせて授業で使ったり、宿題にすることが可能です。
 あとは、そうですね。学習者が遭遇しそうな場面がイラストになっていて、それを見ながら発話・会話するような副教材(そうですね『みんなの日本語 会話練習帳』とても題しておきましょうか)があったら、教師の負担は楽になるんじゃないかと思います。

 プリントについては、各学校でみんなの日本語の弱点を補うプリントを独自に作っているところも多いです。代々それが受け継がれているので、「うちは『みん日』本冊だけに頼らずにうまくやっています」と自負している学校もあるかと思います。

 教案例については、ネットを中心に蓄積の量が半端じゃないです。私も最近は養成講座で『みん日』を使って教える場合の模擬授業を受講生さんにしてもらう場合、「ネットの教案例を見てみてください」と必ず言っています。ネットの真似でもいいと思っています。真似をしながら、自分にとっていい教え方を見つけていってほしいからです。
 
 
 こういったことをいろんな方から聞いているうちに、「ああ、だから『みん日』は選ばれるのだな」と改めて思うのでした。

 ただ、【イ】~【ハ】についての大きな問題点があります。それは「いずれも学習者中心の考え方になっていない」ということです。学習者の都合より、教師の都合、学校の都合が優先されています。
(今回私が話を聞かせていただいた日本語教師の方々が学習者中心の考え方を持っていない、と言う意味ではありません。私の質問の仕方によって教師中心になるような答えになってしまったことを申し添えておきます)

 

 ここまでこの文章を読んできて、「こういう状況を是正しなければならない」と思う方もいらっしゃることでしょう。

 では、どうすればいいのでしょうか?

 申し訳ないのですが、私は明確な答えをもっていません。

 

 「年代差による教育観の違いが原因だ」と思う方もいますが、それも一つの考えにすぎません。
 年代が若い方でも、3年専任を勤めたら主任になれます。だから20代の方でも主任になれます。
 仮に20代の方で主任になることができたとしましょう。そして「よし私の時代が来た!」っていうことで改革を始めるとしましょう。
 「では早速『みん日』をやめ、別の教科書にしよう!」という思いはすぐに実行に移せるでしょうか。申し訳ないのですが、答えは「否(いな)」です
 まず、経営者の説得が必要です。経営者の中には教育のことが全く分かっていない人がいるかもしれませんが、お金のことはよくわかっています。そして数字にシビアです。いくら「『みんなの日本語』なんかより、この教科書がいいんです。採用した学校では学生の日本語能力が上がっています!」と言って訴えても、信じてもらえません。経営者には、経営者向けのアプローチやストラテジーが要ります。
 仮に、経営者に了解を得たとしましょう。そうなると、他の教師への研修、補助的なプリントの再作成といった作業が必要になります。「働き方改革」が叫ばれている昨今、研修や再作成の時間をどのように捻出すればいいでしょうか? 講師が一人増えれば解決するのかもしれませんが、講師を一人増やすためにはまた経営者と談判が必要です。
 
 あと、SNSでの論争を見ていて思うのが、「SNSをしていない人がいる。そのような人がいることを考えることが大事じゃないの?」ということです。いくらTwitterFacebookの中だけで議論をしたとしても、それを見ている人は少なく、そしてそれに参加する人は本当にわずかだと、私は思っています。
 
 私は養成講座の講師もしていますが、日本語教師の情報を集めるのに、TwitterFacebookを活用している人は少ない印象を持ちます。
 問題意識を共有するのであれば、そういった人々にこそ訴える必要があるんじゃないかな、って思います。
 あと、訴えるときの方法にも気を付ける必要があります。『みん日』を叩くような言い方ではなく、「『みん日』もいい教科書だけど、もっといい教科書があるんだよ」って言わないと、聞く人に拒否反応が生まれると思います。
 
 「ダメだと思ってもそれをダメと言わない勇気」が必要だと思います。

 ただ最近は、養成講座の休み時間に「Twitter、見てみるといいよ。日本語教育のことがいろいろ話されているから」「そうなんだ、やってみようかな」という会話もちらほら聞こえてきます。こういうことからSNSに入っていく人が増えていくかもしれません。そういう期待も持ちつつ、SNSを見ていない人への訴えかけも必要だと思います。

 いつになく長い文になりました。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。