くまーるブログ

あやしうこそものぐるほしけれ。

マージナルな存在

日本語学習者に日本語を教えて長い年数が経っていますが、最近、気になるタイプの学習者がいます。

(ツイートは、ご本人の許可を得て掲載させていただきました)


私も、ここ数年でいちばんよく出会う学習者は、このようなタイプの学習者です。

留学生にも、技能実習にもいます。

授業中、「日本の○○について、どう思いますか?」って聞いても「知りませ~ん!」とか「興味ないで~す!」という感じの返事がきます。
一方で、JLPTに対しては「上昇志向は強いな」と思います。そのため、JLPTがらみになると熱心に問題に取り組もうとします。

こういう学習者の様子を見てきて自分なりに思ったことは、
「お金を稼ぐ」ということが第一(のよう)で、それに直結する日本語になら興味は持つけど、
「日本人とのコミュニケーション」「日本の生活・文化・習慣」というのには興味を持たない学習者の存在が一定数ある、ということです。

このような学習者は、留学生技能実習の両方に存在します。その学習者が母国でどのような情報を集め、どのような判断を下したかによって、ある意味「運命のいたずら」的に留学生技能実習のどちらかに分かれていくような気がするのです。

今、留学生と技能実習生のどちらにもなりうる「マージナルな存在」が多いんじゃないかと思うのです。

図で説明をすると、以下のような感じです。

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A…「日本人とのコミュニケーション」「日本の生活・文化・習慣」に興味を持っている留学生
B…「日本人とのコミュニケーション」「日本の生活・文化・習慣」に興味を持っている技能実習

a…「日本人とのコミュニケーション」「日本の生活・文化・習慣」に興味を持っていない留学生
b…「日本人とのコミュニケーション」「日本の生活・文化・習慣」に興味を持っていない技能実習

 

AとBを最初から選択する学習者を、赤い矢印で描いてみました。AまたはBの円内に向かっていこうとしています。

aまたはbに向かう学習者については黄色い矢印で描いてみました。「すぐ働きたい」のか、「勉強しながら働きたい」のかで、留学生技能実習を選んでいるというイメージです。でも、「日本人とのコミュニケーション」「日本の生活・文化・習慣」に興味を持っていないため、円内に向かうことなく、周辺にとどまってしまうのです。

 

黄色い矢印が発生することついては、学習者の出身国に多いアジア諸国の事情を思うことでなんとなくつかめます。

私の印象で述べて申し訳ないのですが、彼らは将来・未来のことを考えるということがありません。
明日食べる金を稼ぐことで精いっぱいです。言ってしまえばだいぶ先のことを考える余裕がないのです。
先のことがあまり考えられないことに関係があるかと思うのですが、「これをこうしたらどうなるか?」という想像力を働かせることが苦手な学習者が多い気がします。


なので、「“考える力”を養っていくことが大切」と思い、拙著の『日本語ロジカルトレーニング』を出版したわけですが、正直言うと、考える力を養う」だけでは不足しているな、と思う学習者がいるのも事実です。

そこで私としては、「認知力も大事なのではないか」と思い、一昨年から「コグトレ」に注目しています。『ケーキの切れない非行少年たち』を読んだとき、なぜだかわかりませんが、aやbにいる学習者(の一部)には認知力も養成する必要があるんじゃないか、と思ったのです。

ここで寄り道をすると、日本人とのコミュニケーションが増えるほど、日本語への興味が深まり、日本の文化・習慣に興味を持つ学習者も増えます。言い換えると、a⇒A、b⇒Bに移行する学習者がいるのも忘れてはいけないなと思うのです。


元に戻ります。

現在の日本語教育で私が問題視しているのは、「AやBにいる学習者に対して行うものが日本語教育である」とみなされていることです。

 

だから、「知りませ~ん!」とか「興味ないで~す!」と答える学習者への対応方法がわからなくて教師が困ってしまうのです。

aやbにいる学習者への日本語教育について、教師はもっと考え、対応していかなければならないと思います。

 

私個人のイメージでは、巷で行われているセミナーや講演会というのはAの学習者に対する教え方についてのみ触れているように見えます。だから、セミナーや講演会に参加した直後は「よし、今度の授業で使ってみよう」って思うのですが、いざ使ってみるとうまくいかなくて「私のやり方がまずかったのかな」と自分だけを要因だと思ってしまう可能性だってあります。

 

余談ですが、Bの技能実習生に対する教え方等のセミナーや講演会を私はあまり見かけません技能実習生の数はかなり多いと思うし、担当する日本語教師の数は多いと思うのですが、留学生への日本語教師に比べてあまり情報を得る機会がありません。


もう一つ余談ですが、AにしてもBにしても、中心に行けば行くほど、「自律性の高い学習者」になっていくような気がします。自律性が高いと、実のところ教師がどんな教え方をしても、日本語の力はどんどん身についていくような気がするんです。

 

留学生か技能実習生かで悩んで、aかbのどちらかに向かう学習者というのは、自律性が高いとは思えません。だから、場合によっては「勉強の仕方」から教えていく必要だってあるのかもしれません。

 

日本語学校の告示校の成績基準の1つに、「卒業生の7割以上がCEFRのA2以上(JLPTのN4相当以上)でなければならない」というものがあります。これを聞いた当初は「ずいぶんと寛容な基準だな」と思ったのですが、今思えばaにいる学習者は、JLPTのN4がやっとという人もいる(つまりN3は怪しい)ので、「ありがたい基準だな」と思います。

 

今後、留学ビザの厳格化の可能性があります。
よって、留学生の数も変わるかもしれません。

それでも、マージナルな存在としての留学生(または技能実習生)は、今後も少なからず存在すると思います。

 

上記の図のA以外の部分の日本語教育をどうするか、いっしょに考えていただける方が増えるとありがたいな、と思います。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。