皆さんは、学習者のことをどう呼んでいますか?
仮に、ということで、グエン・ヴァン・マイ(Nguyen Van Mai)さんというベトナム人の男子留学生に登場してもらいましょう。
私は、2番目の「マイさん」です。
ご存知の方も多いと思いますが、ベトナム人の場合、名前のうち、最後のパートを呼称として用いることが多いからです。
ちなみにもう一人「マイさん」がいる場合、「ヴァン・マイさん」ともう一つのパートもつけることが多いです。
でも今回はこういうことを話題にしたいのではなくて・・・。
「職員室等、学習者がいないところで学習者の話をするときに、学習者のことをどう呼んでいるか」ということなんです。
ときどきTwitterでも話題になるのが、学習者のことを「あの子」と呼ぶことです。
場合によっては「あいつ」と呼ぶこともあるのでしょうか?
私も「あの子」ということに抵抗はありますが、それ以上に気になるのが
呼び捨て
です。
「マイの件ですけど、オープンキャンパスに申し込んだか確認しましたか?」とか
「最近、マイは頑張っていますね」とか。
場合によっては、
「マイは最近寝てばかりですね。注意しないと」
みたいなことも。
学生と面と向かって話をするときに呼び捨てにする先生はいないと思いますが、
職員室で学生のことを話すときになると・・・どうしてなんでしょうかね?
Twitterでもほとんど話題になることがないので、学習者のことを三人称で呼び捨てにするのは抵抗がない方がほとんどなのでしょうか?
ちなみに私は行きすぎているのか、授業報告書の類でも呼び捨てに抵抗があるので、授業の様子を書くときも「マイさんは今日は眠そうだった」と「さん付け」にしています。
もし私が日本語学校を運営することになったら、教職員の方には三人称であっても「さん付け」をお願いしたいです。
さて、学習者のことを「あの子」と呼ぶことも含め、「どうしてこういうことが起きるのだろう?」と考えてみました。
何の根拠もない、ただの一つの意見にすぎませんが、書いてみようと思います。
人間って社会的な生き物なので、いろいろなものに序列を作りますね。
(他の動物にも序列は発生しますが、人間はその比じゃないと思います)
序列というか、立場の上下が発生します。
上下というと語弊があるかもしれませんね。
「管理する方とされる方」と言えばいいでしょうか?
でも、「管理する方とされる方」と言ったところで、何だかんだで上下の意識が働いてしまうのかなと思います。
そのような中で、時々怖い状況に出くわします。
以前見たのは、ある若い先生が職員室脇の談話室(ガラス越しに中が見える)で学生と話をしていたのですが、
腕組んで足組んで、ふんぞり返りながら座って学生と話をしていたのです。
話している内容までは聞こえてこないのですが、学生が委縮しているとことから見て絶対に雑談とかではないんですよ。
ニシクマ情報では専任になって半年も経っていないはずなのですが、どこからああいう風格が生まれてくるのかビックリしました。
あれなんすかね。
自分のことを上に思っているのかな?
さっき、「何だかんだで上下の意識が働いてしまう」と述べましたが、だんだんこの仕事をしていくうちに、自分のことを上に思ってしまっているのかな?
な~んか、よくわからないけどそういう気がするんです。
なんていうか、高圧的というか上から目線的な人が一定数いる気がするんです。
本人はそのつもりはないのでしょうが、学生にそういう圧をかけてくる先生はいるな~と思います。
もしかしたら、そういう気持ちの一部が「あの子」という呼び方に現れたりするのかな、と思いました。
同じく最近、「(教師が)試験に合格させる」という表現についてのツイートも見かけましたが、これも教師の意識(というか無意識?)の中に眠っている要素の一つなのかもしれません。
私の場合、試験については「合格へ近づける」とか「合格への通り道を作る」とかは言うときもありますが、よく言うのは「合格へサポートする」とか「二人三脚でがんばる」とかでしょうかね・・・。
なんかまとまりのない文になってきました。
この辺で止めておこうと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。